海の口、終りの楽園。



大学に入ってすぐに知り合った山子と2人で海に行こうという話が持ち上がった。


でも山子は泳げないし人が多い所が嫌いだというので水族館に行くことになった。

山子は関西出身なので土地勘がなく自分が近場の水族館を勘案する事になり、ふと「油壺マリンパーク」という水族館がぼんやり浮かんだ。自分が小学生の頃に何度か行った場所。

三浦半島の端っこにあっていつ行っても風が強かったのを覚えている。

山子に提案すると山子はスマホで何やら調べた後、「いこう。」と短く言った。




電車では油壺まで行く事は出来ない。


三崎口という駅で降りてそこからはバスで向かう事になる。油壺まで路線を延ばす計画もあったらしいけど自然林の保護の関係やらで断念したらしい。


バス停まで歩く。いかにも三浦半島らしい雑に植えられた南国植物達が風に靡いている。

あいかわらずの強風で山子と自分の髪も靡いていて植物になった気分だった。



バスに乗り合った人達は殆どが地元の老人と子どもだった。このバスであっているのかと不安になるも電光掲示板に頼もしく光る「京急油壺マリンパーク」の文字がすぐにそれをかき消した。自分の記憶だと「油壺」という駅で降りてそこからまた歩いたばすなのだけど、どうやら2017年に油壺マリンパークまで路線が伸びたらしい。自分がそんな事をあれこれ考えている間、山子は菓子パンを2個食べていた。粉がこぼれたら嫌だなと思った。


その日はやや曇りで車窓からの景色はすべてモノトーン。山子は「真グレー(まグレー)でいいね。」と言っていた。たしかに寂れた雰囲気に合っていいロケーションかも、と思った。

バスの移動はおよそ20分ぐらいだったと思う。思っていたよりも早く油壺マリンパークに着いた。



降りるとすぐに強風で2人とも髪がバサバサになったので慌てて建物に向かう。

辺りは既に濃い海の匂いがした。

中に入ると薄くゴンチチのような音楽がかかっていて何だかぼんやりとした気分になった。お土産コーナーにいきなり向かう山子を引っ張って奥へ進む。


いわゆる水族館は散々クラゲやらを観せられた後に半屋外空間があってそこにペンギンとか派手な生き物がいる、といった導線だと思うのだけど、記憶が正しければ油壺はのっけから半屋外空間に出る感じだった。



風が強い。


最初にみたのは確かアシカだったと思う。


山子はアシカを無視してずんずん奥へ進むので各々半単独行動かのようになる。

山子が遠くから何かを言っているけど風が強くてよく聞こえなかった。


水族館というより自然公園のようなひらけた場所だなという印象だった。

奥には海が見え隠れしていて匂いが濃い。生々しくてくらくらした。

水族館のテリトリーを囲うように植えられた南国植物達が折れそうなぐらい風に押されている。

曇りなのも相まって半屋外空間を構成するくたびれたコンクリートの質感がやけにマットにみえた。


山子はペンギンのスケッチをするといってペンギンゾーン前の地べたに鎮座した。

山子のこういうどっしりした性格は本当にカッコいいと思った。

「その辺みてくる。」と山子に声をかけて自分は奥の海へと歩く。



その日は本当に人が少なくてペンギンの前に座り込む変な人がいたとしても目立つ事は無かった。人の少ない水族館、しかも半屋外空間となると何処までが水族館で何処までが外なのかわからなくなってくる。


色々生き物がいたのだろうけど目もくれず、気がつくと自分は海の近くまで来ていた。


前述の通り、ここは三浦半島の端っこなので砂浜へ綺麗に地続きになっている訳ではなく、東尋坊のようなゴツゴツした崖の下にほぼ岩場のような砂浜があるといった具合だった。

ちょうど手すりのついた階段があって降りる事ができる。これ泳いで来た人がいたら水族館に入り放題じゃないかなと馬鹿な事を思った。




しかし本当に人がいない。


こうも昼間の海辺が静かだと少し怖くなってくる。波の音だけがきこえる。

なんとなく1番平たい岩場の上に寝そべってみた。曇りだというのに岩場というのはじんわりと温かい。少し寝そうになったけれどフナムシが群がってきたら嫌だなと起き上がる。


結構時間がたった気がするけど山子からの連絡は無い。

もう少し辺りを散策する事にする。


海辺でよくやる事といえば歩いて行ける岩場の縁の限界まで歩く、という事。

そんなに岩場が続いていなさそうだったし、その日はスニーカーだったからちょっとギリギリまで行ってみる事にした。



岩場を滑らないように慎重に歩いていく。

左手側には切り立った崖が空高くまで伸びていて見上げると水族館の旗の一部がてっぺんから覗いている。

なんとなくゲームのマップ外に来てしまった気分になって少しドキドキした。




案の定すぐに岩場の限界は訪れた。

心なしか波も来るなと言わんばかりの強さで引いては寄せている。


こんなものか、と思い踵を返そうとすると、

ふと崖に横穴がある事に気付いた。



屈めば入っていけそうなぐらいの高さ。

奥がみえないぐらいには深い。


フナムシがいたら嫌だなと思ったけれどスマホのライトで照らした感じでは生き物の気配はない。


足元には半分土になった落ち葉が積もっていて進み易そうな感じがする。


 


奥へ進む。



スマホで更に奥へ照らすと割とすぐに行き止まりになっているようだった。


とはいえ5メートル程は進める。


そして行き止まりまで進むと左に曲がれる穴が続いている事に気付く。




左側を照らした。






白い人のようなものがいた。



その瞬間、脳が滾り狂ったように自分は走った。

狭い穴のなかで何度も頭をぶつけながら一度も振り返らず必死に逃げた。


落ち着いて呼吸ができる頃には自分は水族館から砂浜までの階段まで来ていた。





スマホをみると山子から10件以上の通知がきていた。


ゆっくり階段を登りながら山子に電話をかける。その時、背後から視線を感じたけれど絶対に振り返らなかった。




山子と合流。

山子曰く、何度も電話したのに出ないから心配したらしい。でもしっかりと土産袋を持っていたので本当かなと思った。なんだかそれをみて急に安心した自分がいた。2人で屋内展示へ向かう。




山子は妙に鋭い所がある。


2人でぼんやりクラゲをみてるときに「何かあったの?」と訊かれてドキッとした。

「どうして?」と訊き返すと山子は「別に。」といってそれ以上詮索してこなかった。自分は何といえばいいかわからなかった。




それからの時間は本当にぼんやりした感じだった。メガマウスの標本とかリュウグウノツカイの標本とか色々みたと思うのだけどまったく覚えていない。


水族館から出ると夕方になっていた。





帰りのバスに乗ると山子は疲れたのかすぐ寝てしまった。20分程度の移動ですぐ寝る感覚は相変わらずカッコいいなと思った。

くうくう寝ている山子の隣で自分は今日あった不可解な出来事を頭の中で整理しようとした。



自分がみたものは何だったのか。

人だったのか。別の生き物だったのか。

しかしあのねっとりした視線は動物とは思えない。



山子が隣にいるおかげで比較的冷静にあれこれ考える事が出来た。独りで来ていたらそれどころじゃなかったと思う。




車窓からみえる南国植物達が夕日を背に不気味に揺れていた。






2021930日に油壺マリンパークは閉館したらしい。山子からの数ヶ月ぶりの連絡でそれを知った。


今やあれが何だったのかを確かめる術はない。そもそもどこまで正しい記憶なのかも今はぼんやりしている。





でも時より思い出す。

あの照らされた白い人間のようなものを。