8月18日

Twitterで真剣な話をしても意味がないし、勝手にめんどくさくなるだけだなと改めて思った。それだけ。いまあの時の沢尻エリカの顔でこの文章書いてます。というかTwitterのこと考えてる時間って無駄だし、皆んな大好き!みたいな人の相手したくない、別に。その時に目の前にいる人だけと話したい。くだらない話でもいいから。

皆んな大好き!みたいな人を本気で怒らせて嫌われたいんですがどうすればいいんですか?銃とか以外で…。

マティス良かった。色々思ったけど取り敢えず単純に勇気づけられた。帰ってマティスについて書かれた大久保恭子著の本を読んだら全然内容が駄目で呆れた。マティスについての本は翻訳本じゃないと駄目だすな。まあルドンとかもそうだすが(勉三)。長くなるからあんまり書かないけど前提の話として日本人にとってのジャズやデッサンは吹奏楽部や美術教育によってかなり観念的な言葉に固定されてしまっているなと強く思った。ブルージャイアントとかブルーピリオドみたいなのがのさばってる時点でね。

マティスにとってのデッサンはアカデミックなものという意味だけではなくてもっと、画面に対しての線的なアプローチの展開を指してるんだと思うし、前提意識として日本的なデッサン、つまりはアカデミックな説明表現としてのデッサンというのを取り払うべきだと思う。 微妙に話は逸れますがマティス自身は伝統的なデッサンと色彩(色面)の対立の議論には別に興味はなかったみたいな事を読みましたし(これの46ら辺→https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/53408036484.htm)

ジャズだってもっと機能的でエポックなものなはずなのに日本では自由であったり型にハマらないものの象徴みたいになってますし。誤松すぎる。マティスの話はここでやめておきますね、誰も興味ないでしょうから、別に。

私は全て言葉にする野暮さを忌避する事よりも、ぼやけはじめた言葉を言葉にできないといって誤魔化すだらしなさを律する事を選ぶタイプの人間なので野暮でもこのようにその日思った事を書いてみる事にしている。

世の中ねえ、野暮だったりスマートじゃない事でもやらないといけない時があるんですよ。カッコ付け続けた先に待つものはオシャレな破滅のみですから。私はそうはなりたくないので一抜けさせていただくワケです。

それでは一足お先にさようなら。別に。宴たけ。コマネチ。