11月25日

どんどん攻撃的な人間になっていっている自覚があるので極力、じっと籠っているものの、今月はかなり外出してライブやイベントや展示に行っている気がする。その都度、調子に乗ってたくさんにCDを買ってしまうのでお金が本当に無い。でも前にプログに書いたけど、いま生きていて制作している人の作ったものを買う事をとても大切に感じているので決して無駄でないのだと思う。カセットも好きだけど結局CDの方が慣れ親しんだ感じがあるなと思った。思えば中学生の頃は実家の近くにTSUTAYAがあってそこでほぼ毎週10CDを借りてきて親から借りたiPodに入れて聴いていた。実家には渋谷系寄りのオシャレ気味なCDしかなかったので、イエモンとかすかんちとかジッタリンジンとかそういうズンドコした感じのバンドをメインに借りてた記憶がある。その頃によく聴いていた、母が10代の頃に録ったフリッパーズのライブのカセットをこの前また聴いて、自分の10代の頃を少し思い出した。色々大変で疲れてくるとこうやって防衛反応的に懐かしくなれる事をして逃げがちな気もする、恥ずかしい事

これまで聴いて好きだった音楽と漫画をリストに書き出してみたんだけれど全然見応えがなくてこんなものかと思った。こういうのって人と話すと楽しいんでしょうけど1人でやると意味ないなって思っちゃいますね。ただ思った事として、客観的に考えて私はスピッツをバンドというよりアイドルとして追いかけていたんだなと思った。例えばスウェードとかラーバンドとか詩人の血とかとスピッツって自分の中でまったく別口だし、なんというか仮に音楽をやるとしてスピッツに影響受けるとは思えない。もちろん好きな曲は沢山あるけど、でも嵐とかと同じ感じというか

スピッツは好きだけどスピッツに影響うけてるバンドマンが嫌いな理由がわかった気がする。

あと想像以上に私はビジュアル系が好きらしい。ビジュアル系とかよくわからずに聴いていたけど自分のよく聴いてたバンドを改めて調べると https://vk.gyこのサイトに載っている事があまりにも多い。ソフトビジュアル系なるものあるらしいんだけどそれにやたら区分されてる、まあ何だっていいんですが。でも私は自分に酔ってる系というか自信持ってる系の人(虚勢込みで)の音楽が好きなのでまあそういう事なのかなと思った。

それでいうと最近マークボランって激イケだなと思ってる。あの感じでギターが上手いんだか下手なんだかわからない感じとか、でもたまにめちゃくちゃ泣けるフレーズ弾いたり泣ける事言ったりする感じとか、よれてるんだけどまともそうな雰囲気とか、激イケだと思う。皆んなビートルズなんかよりティーレックス聴いた方がいい。2023年にもなってビートルズの話してる人は全員馬鹿です、ポール含め。

 

ぐらいかな、以上。

 

 

 

 

 

 

11月9日

 

えー、どこまで話しましたっけ?

仕事をいま辞める方向で色々引継ぎとかやってるんですけど、なんか全然引継ぎとは関係ない仕事とかも振られててめちゃくちゃ足止めされてるんですよね。多分ギリギリまでこき使ってやろうって魂胆なんだと思う。まあもうこっちは色々通り越してるんで今更何も思いませんが。普通にさァ、尊敬し合おうよぉ。って毎日言いそうになる(良純と同じ口調のタメ口で)。なんかホント……なんかホントっすわ。

でも辞める事にできて本当に良かった。なんか肩の荷が降りて本当に気が楽になった。次の仕事も決まってないし、貯金もあるようで無いし、色々手続きしないといけない事とかあまりにも全てが未定すぎるんだけど、辞めれるってだけで清々しい気分でいる。

それとは関係あるようで無い気もするんだけど創作意欲みたいなものも最近活発になってきてる。自分でもびっくりするぐらい色々な事を同時に試している。これまでの人生で意欲が必ずしも良いように働いた事がない(むしろやる気がなくて具合が悪い時に良いものが出来たりする)んだけど、なんやかんや手を動かす事は大事ンダナとも思った。

11月っすねぇ〜。皆んなはどう過ごしているのかな?11月は自分にとって始まりと終わりの月なんですよね。全ての事が11月に始まり、11月に終わる。

今回の仕事も結局そうだったし。出会いと別れみたいなんも全部11月にまとまってる。

だから毎回11月は1人でエモーショナルな感じになってめちゃくちゃになるんだけど、今年は今のところ凪のような気分でいますね。なんか。

 

そういえばTwitterを始めたのも3年前の11月ですね。ネット自体は匿名掲示板とかmixiとか変な個人サイトみたいなので長い事やってたんですがTwitterはどうも触手が伸びなくて(たまにチラ見はしてたけど)、特に学生の頃とかでもない変なタイミングで始めた。

別に何か活動として始めようとして始めたワケとかではなく確か音楽をやっている好きな人のライブ情報をみるためとかだったと思う。

それがまさかこんなにハマるとは、トホホ…。

でも言ってしまったら別にいまも活動はしていない(漫画を描いた3年前の痕跡とたまに落書きをあげるのみ)わけで、それなのに私の感覚からするとかなり沢山の人にフォローしてもらっていてとても不思議に思う、恥ずかしいぐらい素朴な事言ってるけど

このままコソコソと色々な事をやりながら、特に何も活動していないみたいな雰囲気を保ちたいなとずっと思っているけどそれってどうなんですかね。まあ今描いている漫画が完成したら良くも悪くも色々と変わってしまうんだろうなとも思う。

でもまだ3年しか経ってないのウケるな。体感的には10年ぐらい経ってる気がする。Twitterを始めた頃に知り合った人達はもうほとんどブロックし合ったり、もしくは辞めてしまったりしていなくなってしまった。やっぱりそういうもんですよね。一期一会。一人一人との出会いを大切に、ですね。最近はもうほんと雑ないいねとかしないように真心こめてる。でもどんどん雑な事言うようになっていってる気がする。

 

あとは…うーん。久しぶりにプログを書いたんでどれぐらいの感じで書けばいいか忘れてしまった。何かききたい事とかありますか?

最近白湯を水と同じ速さで飲む事にハマってる。あと、サウンドクラウドを有料版にしたら音質が良くなるって友達にきいたのでひと月だけ試しに有料版にしてみたけど特に変わらなかった。あと、最近夜に散歩っていうかめちゃくちゃ遠くまで歩く事にハマってるんだけど(山とか越えたりする)、いい加減危ないから辞めたい。あと、仕事のせいで40〜50代の人が完全に無理になってしまった、ごめんなさい…。

 

……以上!宴たけ!乙!また明日!

 

 

 

漫画のためのメモ

漫画のためのメモ(更新:9月16日)

・ダム感

・給水塔

団地の幽霊

・湖畔

・山の稜線

・若者が観光で郊外へ向かう⇔アンチ郊外

・郊外に住む

・植物への畏怖

・意味のない細長いコマ

・話の流れとは関係がないコマ

・漫画におけるパース

・遠近

・南国の植物

・ヌード

・吊り目

・鉢植えの植物

・カレンダー

・カーテン

スクリーントーンを使う

・夏と秋の間

・くじらのゴーグル

・物事が丁寧に配置されていった結果、ピントがぼやけてよくわからなくなる感じ

・建物の中から外にみえる景色(窓の向こうの景色)

・南国の暗さ

・天井と空を描かないで描く

・あえてベタな漫画表現をするのはやめる

・ファミレス

・球体人形的な人体を描くのはやめて、パンみたいな人体を描く

・台詞回しに何かを期待するのはやめる

・台詞を増やす

・祭りの男達

魚眼レンズ

・永遠(永い遠さ)

・失恋

・目線のグロさ

・ブラジル 

 

・いくつか漫画が描けたら「庭球」「人魂と田舎者」をリメイクしてそれらとあわせて1冊の本にまとめる(筆が乗って沢山描けたら上記二つはなかった事にして最新のものだけで本にする)

・ダム感を本でまとめる(内容未定)

 

※このメモが不特定多数に公開される事によってこのメモの意味はおそらく無くなる

 

 

 

9月5日

 

久しぶりに手相を見たら右手の生命線が途切れててワロタ…これ一回死ぬ感じなのか??

私は両手の生命線の先っぽが二股に分かれていて、大昔に立ち読みした島田秀平の本によるとその線は二重生活を表しているらしくて、海外に移住する人に多い線らしい。

なので昔は漠然と海外で暮らす事になるのだろうと思っていた。

でもある時からその二股に分かれた線はどんどん薄くなり、しまいには今日生命線自体が途切れていた。 

漠然と海外で暮らす事になるのだろう、みたいな感覚は確かにいつのまにか完全に消え失せていて、まあ勿論こんな国にいてもしょうがないとは思うし住みたい国は沢山あるけど海外生活という言葉の響きはあまり現実的に感じなくなっている。そこまで努力しなくてもしようと思えば長期的に海外に住むように人生を動かせたタイミングは何度もあった気がするけど、そうともしなかったのは根本的に何かが違ったんだろう。

水木しげるは子どもの頃に生命線が途切れていて漠然と早死にするんだろうと思って過ごしていたけれど、戦線から片手を失って帰ってきたら生命線が繋がっていた、という話を急に思い出した。つまりは今私は逆水木しげる状態という事?まあなんだっていいんですが。

手相の変化の話でいうと少しづつ運命線が浮かび上がってきているのも気になるところです。運命線、無かったんですよね。なんか。

まあ島田秀平いわく運命線がないのはガキあるあるらしいんでそんなに気にしてなかったんですが、割と最近まで無かったので苦笑って感じだったんですけど、なんかこのタイミングで浮かび上がってきてますね。最近は漫画描いたり曲上げたり色々してるから?逆に全部やめて何もしなくなったら運命線も消えていったら面白い。

あと頭脳線と生命線の始まりが繋がってなくて離れているっていう島田秀平いわく空気が読めない人の手相だったんですが(ちなみにうちの家系は全員これっすわ笑)、最近繋がってきてる。まあ働き始めてから空気読みまくり、社会常識順応しまくりなんで妥当ですよね。あー死にて笑

頭脳線でいうと(頭脳線でいうと?)、こいつが最近めちゃくちゃ短くなってきてるんだよな。

最近ずっと逆ギレしてるから?

なんか歳をとって色々な人にあって沢山のことを学ぶごとに自分の感情をコントロール出来なくなってきてる気がする。勿論相変わらず現実では無口なままなんですが、他人の細かい言動とか態度とか行動が気になってしまって頭の中でヒスってる事が増えた。多分Twitterに書けばわりと共感してもらえるようなヒスポイントなんですが現実でそれを吐露したらおそらく私が変な人になるであろう匙加減の内容で、それによって、大雑把で常識人なはずの私が神経質で変な人みたいになっちゃってる感じもキツい。多分Twitterに書けばわりと共感してもらえる、って書いたけどTwitterで共感されたらそれはそれでムカつく(Twitterには変な人しかいないから)ので厳しい。

まあ別に具体的な悩みとかじゃなくて漠然としたイラつきといった感じなんで何だって良いんですが。今はそういうタイミングなんでしょう。

手相の話に戻ると、ここまで書いたけど別にそこまで信じている訳ではないです。ソースも大昔に読んだうろ覚えの島田秀平ごときの本だし。なんかでも人生で起こりうる事を全部自分で決めると疲れるじゃないですか。なんで手相みたいな良い温度感の非科学的な事に部分的には委ねても良いかなって思ってしまうんですよね。同じ理由で最近は微妙に迷う決断はサイコロ(web版)で決めてます。出目で4が出たらやる、5が出たら辞める。って感じです。

自分で全部選んで全部決めるってなると多分その事を考えるだけでゆるく絶望しそうな気がするんですよね。自分で言うのもアレですけど、私はドがつくほどマイペースで変な所で凝り性なので、これまで全部自分で選んで決めまくってきたので、部分的に自分の外側に委ねたいんですよね、最近は。なんか導かれたい。

この前、近場の祭りに行ったんですけど、祭り衣装を着た元ヤン(仮定)の益荒男たちが沢山いてこの人達に導かれたい、全部決められたいって本気で思った。

9月はどうなるんですかね。まあ8月よりはキツくない事は確定してる気がします。サイコロと祭りの男たちと少しの風に導かれて9月を駆け抜けたいと思います。

 

それでは、宴たけ。良い夜を。

 

 

 

 

 

 

 

8月24日

いまの仕事はまあ辞めたいし辞めるんですが、説明が難しいんだけどやりがい搾取系and若者いたぶり系ではあるものの、私みたいなめちゃくちゃになってる人でも出来る仕事内容であって辞めたらマジで次がみつからないんじゃないかっていうのがある。

だから現実的には今の仕事を続けつつ次の仕事を兼業先にして、段階的に辞める感じになると思う…そんな事が出来るのか? 

 

…あの、突然すみません、「現状維持しながら木の枝を掴みながら次の枝に渡るように次の事に移行する事」をさす慣用句って何でしたっけ?

私はそれを「猿渡りで〜って言ってたんだけど、調べた感じ、猿渡りで〜って言葉って無いっぽい。私は無い言葉をこの何十年間言い続けてたのか…。ヤバすぎる。私は大人の使う慣用句をすぐパクるガキだったので、おそらく似たニュアンスの言葉を大人からきいて、パクリ間違えてる可能性が高いと思う。

枝渡り?猿づたえ?枝づたえ?

あの、おそらく正解を知っている方はこれをみてドン引いているんでしょうが、引いてないで大人しく正解を教えてくれたら嬉しいです。連絡待ってます。本当にお願いします。切に。

かれこれ2時間ぐらいこの事をググってるんだけど、慣用句って調べようがなさすぎる(そもそもこれは慣用句なのか?)。

私は生意気にもそれなり言葉を知っている方だと思うのですが、慣用句はその場のライブ感で喋るとちょくちょく間違えがちで後から帰りの電車で調べてあー…となったりする。だから生のラジオで喋る人って凄いなと思う。

この流れでこの話をするのは烏滸がましすぎるんだけど、最近、解説系のYouTuberやバズってるツイートをみて思ったんだけど、案外世の中の人って日本語の細かい間違いとかズレみたいなのに関心がなくてライブ感でみてるんだなと思った。そこそこ人気の解説系のYouTuberの人の動画をみたんだけど、内容は面白いけど細かい日本語の使い方のズレが気になってなんかみてられなかった。でもそれを指摘している人が全然いなかったし現にそんなんでもそこそこ人気になれるワケだから、世の中的にはそんなのはどうでも良いって事なんだわね。まあ風あざみ理論(間違ってるけどそれっぽいからOK)って事でしょうか。そんな上等なものでもないか。

でもネットって改行や句読点付けるか付けないかぐらいまでこだわって、こう、面白い文章やツイートを書こうとしている人たちもいる訳じゃないですか。そしてそういう細かい部分を汲んで面白がってる人達もいるわけで。

なんかそういう、マジョリティとマイノリティのこだわりの乖離みたいなのが、絵とか服とかはわかりやすいけど文章にもあるんだなと思いましたねーという話でした。

なんか色々辛い事とか大変な事があったから、それを書こうと思ったけど気付いたら違う事を書いてた。

 

あと全然関係ないけど、人を馬鹿にする態度を取り続けてる人は一生それから戻れなくなって人を馬鹿にしたまま死にます。それは若さ故とか関係ないです。そのまま。人を馬鹿にしたまま老人になってオートマチックに人を馬鹿にしたまま死にます。これ、自動なんです。ごめんなさい、もう決まっている事なので。

それでは、宴たけ。

 

 

 

 

 

 

8月18日

Twitterで真剣な話をしても意味がないし、勝手にめんどくさくなるだけだなと改めて思った。それだけ。いまあの時の沢尻エリカの顔でこの文章書いてます。というかTwitterのこと考えてる時間って無駄だし、皆んな大好き!みたいな人の相手したくない、別に。その時に目の前にいる人だけと話したい。くだらない話でもいいから。

皆んな大好き!みたいな人を本気で怒らせて嫌われたいんですがどうすればいいんですか?銃とか以外で…。

マティス良かった。色々思ったけど取り敢えず単純に勇気づけられた。帰ってマティスについて書かれた大久保恭子著の本を読んだら全然内容が駄目で呆れた。マティスについての本は翻訳本じゃないと駄目だすな。まあルドンとかもそうだすが(勉三)。長くなるからあんまり書かないけど前提の話として日本人にとってのジャズやデッサンは吹奏楽部や美術教育によってかなり観念的な言葉に固定されてしまっているなと強く思った。ブルージャイアントとかブルーピリオドみたいなのがのさばってる時点でね。

マティスにとってのデッサンはアカデミックなものという意味だけではなくてもっと、画面に対しての線的なアプローチの展開を指してるんだと思うし、前提意識として日本的なデッサン、つまりはアカデミックな説明表現としてのデッサンというのを取り払うべきだと思う。 微妙に話は逸れますがマティス自身は伝統的なデッサンと色彩(色面)の対立の議論には別に興味はなかったみたいな事を読みましたし(これの46ら辺→https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/53408036484.htm)

ジャズだってもっと機能的でエポックなものなはずなのに日本では自由であったり型にハマらないものの象徴みたいになってますし。誤松すぎる。マティスの話はここでやめておきますね、誰も興味ないでしょうから、別に。

私は全て言葉にする野暮さを忌避する事よりも、ぼやけはじめた言葉を言葉にできないといって誤魔化すだらしなさを律する事を選ぶタイプの人間なので野暮でもこのようにその日思った事を書いてみる事にしている。

世の中ねえ、野暮だったりスマートじゃない事でもやらないといけない時があるんですよ。カッコ付け続けた先に待つものはオシャレな破滅のみですから。私はそうはなりたくないので一抜けさせていただくワケです。

それでは一足お先にさようなら。別に。宴たけ。コマネチ。

 

 

 

 

 

 

 

7月29日

今日は朝からボロボロになるまで働いた。

残業にならなかった事だけが本当に良かった。

仕事が終わった後、幡ヶ谷に行った。

職場から幡ヶ谷が思っていたよりは遠くない事を今になってはじめて知った。

幡ヶ谷ゴールデンセンターで何か食べたりあわよくばお酒を飲もうと思ったけど急に寂しくなってやめた。同じ建物にあるマックに入った。マックは全然人がいなくて誰1人やる気がなくて、OLが2人で会社の愚痴を話し込んでいるのみで最高だった。マックフルーリーのバニラ味を飲んだら強烈に眠くなってきて寝落ちしてしまった。この辺りでスマホのバッテリーも無くなった。起きたら21時で焦った。慌てて会場に向かった。 

入るとShine of Ugly JewelさんがDJをしていた。暗くて冷たい感じがすごく良かった。雪女ってフリーゲームの雪女に追いかけられる時の音楽がカッコよくて好きなんですけどそういう雰囲気があった。空間自体はなんか全体的に久しぶりというか学生の頃みたいな感じでずっとソワソワしてた、普通だったら絶対行かないタイプのイベントだったと思うから新鮮だった。

川さんのライブほんとうに良かった。

以前のカトーマサカーの時、配信でみて本当に良かったんだけど、それ以上だった。

川さんが目の前にいるのにマサカーの配信でみていた時と同じような体感があった。現実と画面の向こう側の現実が同期しているようだった。バックDJの人が照らされてて川さん自身は暗くてみえない感じがそうさせてるのかとも思ったけどそもそも川さんの音楽自体にそういった感覚にさせる力があると思う。

前にも書いたかも知れないけど川さんの音楽を聴いていると、チューニングが少しずれたラジオをつけっぱなしのまま寝てしまって早朝に意識が戻ってきた時のあの、薄く明るい室内とラジオのノイズと僅かに聴こえる音声の中で微睡んでいる、夢と現実が混ざった瞬間を思い出す。

川さんが終わって、次の人をすこしみて流石に1日疲れたので帰る事にした。なんかずっと心がざわついたままでこのままわざと終電を逃そうかなとも思った。なんとなく幡ヶ谷の元バイト先の前を通ってみたけど特に何も思わなかった。各停で帰路へ。心がざわついたままなので最寄りの2駅前で降りて歩いて帰る事に。私の住む地域は山を切り拓いて作られたので起伏が激しい。山をいくつか越えて帰る事になる。

途中セブンイレブンに入ったら白くま(アイス)のいちご味があったので買って歩きながら食べて山を越える。リマインド:みそきん再販8/10。

ちなみにスマホのバッテリーが無い状態が続いているので写真は何も撮ってないんだけどそういうのもなんか良いなと思った。モバイルバッテリーは何故か絶対に持ちたくない。なんかモバイルバッテリーを持ち歩く事って不自然な気がする、人として。

途中高台になっていて夜に包まれた私の住む街が見えた時、涙が出た。写真を撮れない状況で本当に良かったと思った。今日の川さんのライブの記憶のリフレインが一気に駆け上ってきた。風がとても気持ちよかった。

 

家に帰り、高速で色んな事を済ませて寝るだけの状態になってこのブログを書いている。

明日には恥ずかしくなって消すかも知れないけど、せめて日記として今日の事を残したくて書いた。

世界が平和でありますように。