11月28日

研究職に進んだ友達から何年かぶりにTEL

お互い人と話してなさすぎてぎこちなくて面白かった。色々辛い時期もあったのにずっと1人で上品に生きていて本当にかっこいい人だと思う。まだ絵は描いているのかと訊かれて、漫画をぼちぼちと答えたけど恥ずかしくて見せはしなかった。というかみせた時点で海ヲキナという名前がバレてしまうのでおそらく一生みせる事はないでしょう。

海ヲキナという名前で色々描いたり作ったりしはじめた事の弊害として、それを近しい知人や親族に明かせないというのがある。いや明かせるのか?いわゆる芸能人まではいかないにしてもペンネームで活動してるみたいな人がどこまで周りに明かしているのかって話が1番気になる。皆さんはどうしてるんですか?

まあ私の場合は親には言えないだろうなって思う。友達にはまあ言ったり言わなかったりですかね。実際向こうもペンネームで活動してる人には明かしちゃったりしてるし。Twitterフォローされちゃってるし。怖くて訊いたことないけど私がTwitterで癇癪おこしてるのとかどんな目でみてるんでしょうね。

あー怖。

でもまあ、今後Twitterで知り合った人とかと会ったり遊んだりしたりするようになったらそういう海ヲキナと私の境目みたいなものも無くなっていくんですかね。まあそんな事するとは思えませんが。特に話す事とか無いしなあ。感想がない。

特定の誰かを腐してる訳じゃないけど、SNSで誰か会いませんか〜って不特定多数に投げかけ続けてる人って結構わからない、よくいるけど。なんか下品だと思う。会いたい人が出来たのならばその時その人に会えばいいのではないでしょうか。まあそういうコミュニケーションの取り方の人ってだけか。それぞれ松だね。

でも、いずれは海ヲキナとして身体的に出ていかないといけない時がくるのかなとも思ったりする。一生何をしているかもわからない訳わからない存在でいたいんだけど

最近改めて思ったけど別にみられたいみたいな願望がいま私にはほぼないんだなと思った。

なんとなくその時に思い浮かべてる人がいてその人に届いてくれればいいだけで、むしろ求められすぎる(みられすぎる)としんどい時がある。だから前も書いたけど漫画が完成しても本当はTwitterに載せたくないんですよね。まあ載せますが

来年は淡々と制作しつつ、やってる感をいかに消すかみたいな事を考えたい。夕方に散歩をしていると本当にもう年末だなとしみじみ思う。野焼きの匂いが不思議と秋版から冬版に切り替わった気がする。お風呂に入っている時に窓をあけて外の空気を顔で浴びると冬の瑞々しさを感じられてとても気持ちが良い。今年もあと約1ヶ月わね。

来年もまた、笑顔で